先月、縁があって東京ヴェルディの佐伯選手とお話する機会がありました。

これから色々な経験をするであろう子供達に何かしら参考になればと思い、インタビュー形式でたくさんの話しを聞いてきました。

佐伯 直哉

http://www.verdy.co.jp/itemview/template31_1_88.html

~1990年 東寺方サッカー少年団

1990年~1993年 読売日本SCジュニアユース

1993年~1996年 読売日本SCユース

1996年~2000年 国士舘大学

2000年~2001年 ジュビロ磐田

2001年~2005年 ヴィッセル神戸

2006年        大宮アルディージャ

2006年        アビスパ福岡

2007年~2008年 大宮アルディージャ

2009年        ジェフユナイテッド市原・千葉

2010年~        東京ヴェルディ

松尾:佐伯選手は元々ヴェルディのジュニアチームでサッカーを始めたのですか?

佐伯選手:中学生からです。ジュニアユースからヴェルディで始めました。

松尾:ジュニアの頃は?

佐伯選手:ジュニアの頃は地元の小学生のサッカーチームでやってました。6年生の頃にヴェルディのジュニアユースのテストを受けて入り、中学、高校とここのチームでお世話になっていました。

松尾:うちのクラブはジュニアのチームなのですが、佐伯選手は子供の頃はどんな子だったのですか?今はやんちゃイメージがあるのですが(笑)?

佐伯選手:う~ん、どうだろう?自分で自分を分析するのはあまり得意じゃないのですけど(笑)、小学生の頃は人数が少なく、サッカーをやってる子も少なかったのですが、その中でお山の大将で、サッカーでも私生活でもわがままでした(笑)。

松尾:ジュニアのチームは強かったのですか?

佐伯選手:全然強くなかったです。同い年でやり続けた子が僕ともう一人しかいなくて、みんな受験とかで辞めてしまい、どうしても下級生の力を借りないと人数も揃わない状況だったので厳しかったです。

松尾:でもヴェルディのジュニアユースにはセレクションで入ったのですよね?その時は何か実績はあったのですか?

佐伯選手:いえ、無いです。ジュニアの時に多摩市の選抜チームでは全国大会に出た事はあったのですが、よみうりランドで行われる一番大きな大会はテレビで観る立場でした。

松尾:それでもヴェルディのジュニアユースにセレクションで入ったのですか?それは凄いですね。当時のこのチームは、ジュニアで実績がある子達だけが集まるチームというイメージがあるのですが?

佐伯選手:そうですね、でも同じチームの子が僕より早くヴェルディのセレクションを受けて合格している子がいたのですよ。それで自分も挑戦したくなってその数ヶ月後にまたセレクションがあって応募したら受かったのです。

松尾:ちなみにそのセレクションにチャレンジしてみたいと思ったのはいつごろですか?

佐伯選手:それは6年生ですね。その子が夏には受かっていたので、秋にセレクションを受けました。実は自分の父親がサッカーをより良い環境でやらせてあげたいと考えていて、自分が3年生頃からヴェルディのセレクションの資料を集めていたらしく情報は収集してようです。そういう事を後日談で聞きました(笑)。3年生の頃も父親にジュニアチームのセレクションを受けるように言われたのですが、その頃は地元のチームでやりたかったので受けなかったです。

松尾:でも5、6年生頃になると気持ちが段々とヴェルディに傾いていったのですね?

佐伯選手:はい。そのきっかけになったのも、選抜チームでヴェルディのジュニアと試合した時に結構な大差で負けたのです。その時に上手い奴がいっぱいいるこの中で自分もやりたいなと思いましたね。

松尾:なるほど。現在うちのクラブは5、6年生の子がいて、中学になったらどのレベルのチームに行くか悩んでいる子がいるし、これから悩む子が結構出てくると思う。参考までに佐伯選手が高いレベルのチームにチャレンジしようと思った時の心境を教えてください。それはやはり先に友達が入ってて、その彼の存在が大きかったですか?

佐伯選手:それが僕の場合は一番大きかったですね。先に友達がセレクションに受かった事や、上手い選手がいっぱいいる環境に行けるというのがとても羨ましかったですね。その事が自分のスイッチを押されたような感じで、一気に気持ちが傾きましたね。

松尾:それほど高いレベルでやりたくなったのですね。でも地元のチームのレベルに不満があったのですか?

佐伯選手:小学校を卒業するまではそのチームでやるって決めていたのですが、選抜チームで強いチームと試合をすると高いレベルでやりたいという気持ちが出てきたのは確かです。

松尾:中学生からヴェルディのジュニアユースに入ったとの事ですが、入った時の心境はどうですか?このくらいならやれるなと思ったのか、それともレベルが高いな、とかいかがですか?

佐伯選手:やっぱりみんな上手いなという印象が強かったですね。やれるやれないという事を思う前に、みんな上手いとしか感じなかったですね。特にヴェルディのジュニアから上がってきた選手はエリート意識みたいなプライドを持っていた奴らが多かったので、自分のようなよそから来た選手を見下していた感じがありました(笑)。

松尾:特にヴェルディは昔から、そのようなこだわりみたいなところがありますよね(笑)?

佐伯選手:そうですね、それは良い事だと思うのですが、でもそういうのには負けたくない気持ちが出てきますよね。

松尾:その時のメンバーは何人くらいいたのですか?

佐伯選手:中学1年の時が一番多くて、その学年で40人くらい居たと思います。でも段々とやめてく(通用しなくて辞める事になってしまう)子がいて、中学3年の頃には20名くらいでした。

松尾:そのような環境で生き残っていくには苦労しました?

佐伯選手:いえ、とにかくサッカーが楽しかったです。練習グランドまで友達と一緒に来る道のりも楽しかったですし、グランドでサッカーをするのも当然楽しかったし、友達と一緒に帰る帰り路も楽しかったです。1日のほとんどサッカーに明け暮れて、家にいる時間は帰ってご飯食べて寝るだけで、しかも練習は遅かったので寝る時間もそれほど無かったのですが、凄く充実していましたね。

松尾:佐伯選手は今はボランチですが、子供の頃からそうなのですか?

佐伯選手:ジュニアユースの時はボランチやセンターバックでしたが、ジュニアの時はフォワードで、点を獲りまくってました。まあでも段々ポジションは後ろになっていきましたね。地元のチームでは中盤もやって点も獲ってと、とにかく中心でやってましたが、選抜チームではセンターバックをやってそのポジションからドリブルで相手を抜いていって点を獲るプレーが楽しかったですね。

松尾:それは目立つ選手でしたでしょう?

佐伯選手:いやぁ、楽しかったけど、今思えばそのあたりの状況判断は全く出来て無かったですね(笑)。

松尾:小学生、中学生でこだわっていたプレーはありました?

佐伯選手:とにかくむやみやたらにボールを蹴るなと教わっていたし、止める、蹴るなどの技術の精度は口酸っぱく言われていたので、ボールを大事に扱ってましたね。ですのでそのあたりは自然と意識するようになったし、今でもその意識は変わらないですね。

松尾:確かに佐伯選手のプレーは大宮でも神戸でも、どのチームでプレーしてもスタイルは変わらないですよね?

佐伯選手:そうですね。その止める、蹴るを大事にするのはサッカーの基本ですし、それはチームが変わろうが、それこそ引退して遊びでサッカーをやったとしてもボールを大事に扱う事は変わらないですね。そう考えると子供の頃にそのような教えを請けた事は凄く良い事で、指導者の方に感謝したいですね。

松尾:プロのなると考えたのはいつごろですか?

佐伯選手:ヴェルディのジュニアユースに入った頃から漠然とは考えていましたが、ユースチームに上がって身近な人がプロになるのを見ていくうちに意識しましたね。一緒に練習していた先輩達がトップチームに昇格するのを見ると自分もそうなりたいと思うようになりましたね。

松尾:でもユースの後は国士舘大学に入学していますよね?トップチームに行かなかった理由はあるのですか?

佐伯選手:まあ当時はヴェルディの黄金時代なので、トップチームに上がれなかったのですが、また昇格できた先輩達も全く試合に出れていなかった当時の状況を考えると、自分が昇格しても厳しいだろうという想像はできました。なのでスタッフの方や親と話して大学進学を決めました。

松尾:しかし今でこそ大学はサッカー選手の育成機関として素晴らしく機能していますが、当時はまだぬるま湯と言われていたかと思います。そのような環境でサッカーを続けるのは大変ではなかったですか?

佐伯選手:今思えば楽しい大学生活ですが、その頃は悩みましたね。選手それぞれ目指すところが違うので、例えばある選手は4年間の大学生活を楽しめれば良いとかプロを目指す選手もいれば、それこそ練習にも出てこない幽霊部員のような選手もいた。しかも彼らと4年間同じ生活を共にしなくてはいけないので、難しさを感じた時もあった。でも自分はプロになるという明確な目標があったので流される事は無かったですね。

松尾:ヴェルディのジュニアユース、ユースチームと国士舘大学ではサッカーのスタイルが全く違うと思うのですが、違和感があったとおもうのですが、どのように対処したのですか?

佐伯選手:そうですね。最初はコーチとも言い争う事がありました。しかもヴェルディ出身という先入観もあってとても生意気と見られていました。でも自分のスタイルは崩したくなかったので、コーチと会話を重ねて歩みよれました。初めはぎくしゃくしていましたが、最後は上手くやれていたと僕は思います(笑)。

松尾:なるほど。監督との関係ですが、今まで色々な監督の下でプレーされてきたかと思います。監督それぞれに戦術がありますが、プロサッカー選手という個人事業主という事で考えると監督の戦術には従う必要がある、しかしどこかで自己主張をしなくてはいけないという、とても難しい判断が求められます。そのあたりのバランスはどのようにお考えですか?

佐伯選手:まずはやはりチームが勝つことを考えます。その為には監督の考える事、チームメイトの特徴を理解して、それに自分が合わせる事をまずは考えます。監督の考えが分からない時は会話してはっきりと理解できるようにしますね。それは僕だけじゃなくて、スタッフを含めたチームの全員が同じ事を考える必要があると思いますね。

松尾:国士舘大学の話しですが、幽霊部員だとか色々な選手がいる中でプロになるというモチベーションを保つのは大変だったと思うのですが、いかがでしたか?

佐伯選手:Aチームの選手達は明確にプロを目指していたのでグランドの中では問題は無かったですが、一番時間が長い私生活の方が難しかったです。例えば体が大事なので早く寝たいし、食べるものにも気を使っていたのですが、集団生活の中でそういう考えではない選手もいる。そういう中で強く自己主張すると友達との関係がぎくしゃくしてしまいます。集団生活の難しさは感じてましたね。でもそういう経験も楽しかったですよ。人間関係を学べましたね(笑)。ヴェルディのようなクラブチームは上下関係が無いので、大学では先輩後輩などの人間関係も学べました。

松尾:プロになりたての頃は、今でこそ海外が身近な存在ですが、当時はそうでもなかったと思います。そのような中でどのような目標があったのですか?

佐伯選手:そうですね、当時はヒデさん(中田英寿選手)くらいしか海外でプレーしていなかったですし、なので海外というのは意識していなかったですね。それよりも日韓ワールドカップに日本代表として出たいと考えていました。最初はシドニーオリンピックを目指していたのですが、その選考に選ばれていなかったので厳しいなと思いましたね。当時のチーム(ジュビロ磐田)は前年度優勝して、そのチームでルーキーとして試合に出れれば、注目されると思っていたのですが厳しかったです(笑)。

松尾:当時のジュビロも強烈でしたからね(笑)

佐伯選手:いや凄かったです。日本代表選手がレギュラーになれないくらいのチームでしたから(笑)。鼻をへし折られましたね。

松尾:そのような強いチームにあって、自分の実力を披露できるのは日々の練習や紅白戦しかないのですか?

佐伯選手:そうです。試合には出れなかったので、日々の練習しかなかったですね。なのでその日々の練習がとても大事でした。

松尾:でもそのような環境で、腐っていく選手は結構いるかと思うのですが、佐伯選手はどのようにモチベーションを管理していたのですか?

佐伯選手:僕も不満があった時はありましたよ。調子が良い時はなんで出れないんだよ、と思う事はありましたが、でも監督や他の選手の信頼を得る事が出来ていないという認識もありました。今思えば、くだらない事を考えていたなぁと思いますけどね。でも試合に出れないからといって練習で手を抜くという事は無かったです。もちろんもやもやしたものを抱えててそれがエネルギーになった事もありますけどね。特に大卒は即戦力として見られるのでそれで焦っていたという事もありました。

松尾:その後神戸に移籍するわけですが、サッカー選手は長期的なライフプランなどは立てられるものなのですか?

佐伯選手:それは個人個人によりますが、基本みんな良いイメージを持ちます。僕の場合はシドニーオリンピックの代表になって、その後は日本代表で日韓ワールドカップに出場するという順風満帆なイメージは持っていた。でもそんなに上手く行かないし、怪我で1年棒に振った時もあった。その時はその都度目標を切り替えてましたね。目指すところはあるけど、そのハードルを下げるわけではなく、そこに向かって達成できる事をまずはやっていました。

松尾:子供たちは今は夢に向かってまっしぐらの時で、しかしいつかはその夢が現実的では無いと思う時が来るかもしれない。そのような時に、例えば佐伯選手はシドニーを目指していましたが、どこかで切り替えたと思うのですが、その時の心境はいかがでした?

佐伯選手:僕の場合は、当時は試合にも出れなかったので、シドニーが無理というのは早い時期にわかりました。なのでまずは1日1日の練習を大切にして、1日も早く試合に出るという目標に切り替えましたね。試合に出て、活躍すればそればチームの為にもなるし、それが日本代表への道だと思うようにしました。その日その日の練習が凄く大事だと考えました。大きな目標として日本代表があったので、シドニーがだめだからといってばたばたする事は無かったですね。

松尾:先ほど怪我の話しがありましたが、今シーズンも怪我で苦しみました。その時の心境はいかがでしたか?

佐伯選手:今シーズンは復帰してもまた怪我でリハビリに戻るという事を何回かあったのですが、その時はきつかったですね。グランドに戻ってきたい、サッカーをしたいという気持ちが強かったのですが、でも当たりようのない、発散できないストレスがあってそれを消化するのが大変でした。子供といる事で気が紛れて、それで救われた部分は大きかったですね。

松尾:今シーズンは佐伯選手と同じポジションに梶川選手、和田選手という若手の台頭があり、中後選手という実績のある選手も加入して、しかしシーズンの最後にはしっかりと試合に出場してきましたよね。これは本当にすごい事だと思うのですが、怪我明けに出場できた試合の喜びはとても大きかったのでは?

佐伯選手:いえ、緊張感の方が強かったです。大丈夫かな?自分はちゃんとプレーできるかな?とい不安が大きかったです。怪我した膝に対して不安があったので。

松尾:ところで今まで対戦した選手や自チームの選手で凄いと思う選手はいますか?

佐伯選手:いっぱいいます(笑)。特に今の若い選手は自分若い頃と比べても上手いし賢いと思いますね。

松尾:お子様は何歳ですか?

佐伯選手:3歳です。

松尾:将来はサッカー選手ですか?

佐伯選手:いやあ、今は興味無いみたいですけど。押しつけるような事もしたくないですが、たまにボールを蹴ろうと言われて、一緒に蹴ると右足だけでなく、左足でも蹴れとか言ってしまうのですが(笑)

松尾:小学生の選手にアドバイスをいただけますか?

佐伯選手:楽しくサッカーをするのは大前提でサッカーを好きでいてほしい。それでいて基本技術の止める、蹴るは小さい頃から繰り返し練習する事が大事。あとは友達とたくさん遊ぶこと。それはテレビゲームではなくて、みんなで色々な事を工夫しながら、意見を出し合って話し合って遊んでほしい。最近の子供達はそういうコミュニケーションが薄れている気がします。

先日、残念ながら引退を発表しました。とはいえ選手寿命が短いサッカー選手で35歳まで現役だったのは凄い事。これからの人生も彼らしく飄々と歩むでしょう。

投稿者 松尾