「神は細部に宿る」

ミース・ファン・デル・ローエという建築家の言葉です。建築は細かなところまで美しくすることにより、全体がより美しくなるという事です(色々と解釈がありますが、大まかに言えばこんな感じです)。

今まで色々な選手を見てきました。一緒に選手生活を過ごした選手や、歳が離れその成長過程を見てきた選手もいます。その中には中学校、高校で一流と言われ、将来は有望と目されていた選手も数多くいます。しかし残念ながらそのほとんどの選手がある時期から成長が止まり、高校を卒業する頃には普通の選手に成り下がっていました。

また逆に、特に実績も無く注目されなかった選手が、何かしらのきっかけで一躍有名選手になったりします。

その違いは何でしょうか?なぜ将来有望と言われた選手の成長が止まってしまったのでしょうか?これにはもちろん多種多様な要素があるでしょうから一概にこれだとは言えないですが、一つだけ心当たりがあります。

私が学生の頃に、地区選抜や県選抜、都選抜だった選手達と練習を共にして、ある時に気付いたのですが、練習のどこかで必ず手を抜いているのですね。例えば30メートルダッシュの練習で最後の数メートルで力を抜いていたり、ドリブルやパス練習でもどこかしら手を抜いていたり。それぞれの練習では小さな事ですが、これが数年経過すると手を抜いた練習量は相当な量となってしまいます。

反対に当初はそれほど上手ではなかった選手が、どんな練習でも最後まで全力で行い、それを数年続けた結果、将来有望と言われる選手よりも注目を浴びるようになって、長く選手生活を送る事ができた例もあります。

最近、中学年と高学年クラスの練習で気が抜けているのか、適当なプレーがとても目に付きます。素晴らしいドリブルで相手を抜いて、しかし肝心のシュートの時に集中力が切れて雑なプレーになったり、上手にボールを止める事が出来たが、肝心のパスが雑になったり、などなど。一見、上手なドリブル、素晴らしいボールコントロールと見えてしまいますが、一つ一つの細かなプレーを最後までしっかりと集中してやらないと上手になりません。

春先に比べてると、特に中学年クラスにおいて、はっきりと差が出てきました。春先に上手だった子よりも、とにかく頑張る子が今は彼らよりも上手になっています。やはり頑張る子は上手になるのですね。とてもフェアな結果です。

とはいえ見捨てるにはあまりにもったいない才能を持った選手ばかりです。これからも口うるさく指導して行きましょう。お姑作戦発動です。

投稿者 松尾