本日は六年生の全日本大会でした。結果は残念ながら1-3の敗戦です。試合後の表情を見ると泣きそうになっている子が何人かおり、彼らにとって受け入れがたい結果だったのでしょう。

試合内容はそれなりに拮抗しており、決めるべきところを相手は決めて私たちはゴールを奪うことができなかったという試合で、いくつかのチャンスを決めていたら違う結果になっていた可能性があります。

しかしサッカーにおいて”たられば”は禁句であり、決められなかったのも全員の実力不足になります。とはいえ各自の成長も確かに見えたのも事実で、例えばやまと君は新たなポジションでしっかりとゴールを奪いましたし数多くのチャンスを作りました。王子は王子で豊富な運動量と積極性を武器にチームに勢いを与え、あおと君やリオはこれまで私たちが期待していたパスを出せるようになりました。

また、ゆづき君の声や王子の勢いなどプレーに直接関与しない頑張りも見逃せません。このような姿勢がチームを一丸とし強固なチームが出来ていくのです。

しかしながら

彼らのその姿勢が他の選手に響かないのは何故なのでしょう?今日は他の試合の審判をやったりいくつかの試合を見ましたが、強いチームは試合中に選手同士で積極的にコミュニケーションを取ってます。「もっとこっちにパスを出して」「あの選手をマークして」「ちょっとボールを持ち過ぎてるからもっと早くパスを出して」等々。

このように試合中に修正することによって自分がプレーしやくすく、結果チームの勝利に結びついていくのです。

全ての子が何も言わないとは言いませんが、何か発言しているのは決まって少数というのが実情です。気になるのは、引率で数人を引き連れて行くのですが喋っているのは一人か二人で他の子は一言も話さないことがあり、また試合前に全員でミーティングして作戦を考えるようにと伝えてもいくつかのグループに分かれてしまい、グループ同士のコミュニケーションが取れていない、チーム全員の会話が成り立たないことです。

内向的を否定するわけでもたくさん喋れば良いということではありません。傾向としてコミュニケーションを取らない子は試合においても受動的になってしまい、常に後手後手な対応となり、相手に対し何も出来なくなるということが多く、ピンチを招き失点を重ねて試合に負けてしまうという結果になるのが問題です。

中には普段はあまり喋らず、コミュニケーションも積極的に取らなくても試合になれば自分の考えを行動(プレー)で示し、積極的な姿勢でチームに貢献する子もいます(いました)。

また六年生の試合でスローインで反則を取られたり、オフサイドを知らないのは理解に苦しみます。サッカーを好きな子は細かなルールは教えなくても自ら調べたり聞きにきたりしますが、、、

おそらくそれほどサッカーに夢中になっているわけではないのでしょう。試合後の表情でもやっぱりそういうのは分かってしまうのです。

これまで彼らに対し、個人の成長に主眼を置いてました。個人が成長することにより積極性や自主性が育み、しっかりと自分の考えを持てるようになってサッカーを卒業しても自らの道を歩んでくれるだろうと考えていました。

が、どうやらそれは間違った指導だったようです。認めたくはありませんが認めざるを得ない現実が目の前にあります。このままではただ何となくサッカーをやっただけ、楽しかったねという思い出だけで終わり何も身になっていない状態で卒業してしまいます。

もちろん個人の成長は大事ですが、今後はこれまでの反省を鑑みて個人よりもチームに対する貢献を重視していきます。試合に出るのも試合に参加するのも個人がどれだけチームに対し貢献できるのか?
まずはそれが具体的にどういう事をなのかを理解させ実行できるようにフォローし、実行できる子や実行できるように努力している子が試合に出るという基準を作ります。

コロナの影響で無くなることが心配されたリーグ戦も来月から始まります。卒業まであまり時間はありませんが、なぜ努力しなくてはいけないのか?なぜコミュニケーションを取らないといけないのか?なぜルールを覚えなくてはいけないのか?なぜ練習に参加しなくてはいけないのか?それは全てチームのため、チームの力になるためというチームスポーツの普遍的な基本、組織論の根本を理解させ、自己犠牲と協調性、そしてそれを実行する自発性と実行力を少しでも植え付けられるようにするのが私たちの仕事になるでしょう。

駆け足で書いたので誤字脱字、意味不明な文章があるかもです。ご質問はいつでも歓迎です。

投稿者 松尾